ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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中華度数と安心度数(3)
 一時間三十分というのはそう長い時間でもない。それでも僕の前では様々なもので出来た列が成長を続けていく。 紙袋、中国語の新聞、ペプシの空き瓶、小さく折りたたまれたチラシ、ガム……。
 育ち続ける列、それはまるでこれからバスに乗り込む雑多な人々の顔をのぞいているような錯覚にとらわれる。人影が近付いてくるたびに「さぁ、こいつは何を置いていくんだろう?」、と密かに胸を震わせて待つ。育ち続ける列。
 ついにそれまでずっとこらえていた笑いを抑えきれなくなる物をある男性が置いてしまった。彼は列の最後尾まで来て、ポケットのあちこちをまさぐっていた。どうやらポケットは空っぽだったようだ。諦めてしまったのか、彼はその場から歩み去った。
 しかし数分後に戻って来た彼は二十センチほどのトイレットペーパーをそっと置き、後ろも振り向かずに立ち去った。「もう何が出てきても不思議ではない!次はビールの栓だろうか、いや使用済みのケチャップの小袋かな?靴下か?」、と期待に胸を震わせていたのだけれど、その後は似たような物が延々と続くだけだった。ただ、白いトイレットペーパーだけが頼りなげに床から少し浮いて見える。
 僕の隣には南米系の男性が、その隣にはアメリカ人女性が座っていた。床の行列を除けば極めて中華度数が低い待合室だった。静かなBGM(英語)が流れている。本を読んでいる目の端に床を掃除している男性の姿が見え隠れしだした。あちこちに落ちているゴミをほうきでちりとりに掻き込んで歩き回る。当たり前の話だけれど、とても不規則な動きで視界から消えたり、現われたりを繰り返していた。だんだんと彼の足が大きくなって列の方へとやって来た。「やめろ」、僕や他の人の言葉を無視して列の中ほどにあるトイレットペーパーをも彼は掻き込んでしまった。
 バスの発車時刻も迫り待合室の中華度数は徐々に、しかし確実に上昇し始めた。動かない男が目の端に映った。列の前に立ち尽くす男。無言で床の一点を凝視していた。その後ろでは一人の女性が不安げに彼を見つめている。トイレットペーパーの男だった。見るに見かねた僕達は、誰からともなく身振り手振りを交えながら男に事情を説明するとやっと彼の表情も和らいで、あるべきものの場所に立った。
 さぁバスが来た!ゲートのドア付近での先ほど同様のひと騒動の後、やっと僕の番が巡ってきた。ニューヨークへ帰れる!これまで数多くのバスの旅をしてはきたけれど、これほど座席に座って安堵したことはなかったように思う。安心度が急上昇をした一瞬だった。

 安心とは大河に身を委ねるようなものかもしれない。川に身を投じる時にはうろたえ、恐怖、不安など様々な感情が去来する。しかしいったん飛び込んでしまったからにはそれに身を任す他はない。その流れに身を任せていればいつかは海へと出ることが出来る。大河そのものだけではなく、そこにあるものを使いながら、避けながら流れていかなければならない。ただ、大河に身を任せたからといって百パーセント安心できるか?といえばそうではなく、置いているはずのトイレットペーパーを誰かが捨ててしまうようなことだってありうる。また、川はひとつではなくその流れも一様ではない。様々なもの達の行列が当たり前の川もあれば、整理券を発行する川、空席待ちの乗客をコンピューターで登録しておき順次呼び出してくれる川、様々な川がある。この川での流れ方が、あの川では通用しなかったり、同じ川でも翌日には水かさが増してしまって何の意味も成さないことだってよくあることだ。今、ポケットの中にあるお金でさえも明日には使えなくなってしまっているかもしれない。その川、その川の流れを読んで身を投じる。それでも、百パーセントの安心はもらえないことを肝に銘じて。
 小さな急流を下れば早く海に出ることができるかもしれない。しかしそこには危険が伴う。安心度が下がってしまう。昔のニューヨークはやはり面白かった、しかし安全でもなかった。安心を求めれば何かを失ってしまう。得るということは、失うということの裏側であるのだから。そんな事をはかりにかけながら、僕らはエッチラ、オッチラ歩いていくのかもしれない。そこが決して、居心地がよい、といえない川であることがわかっていても安心の為には身を投じてみる。そうして流れに身をあわせながら、そんな流れの中からでもきれいな石を見つけ出すことは必ず出来るのだから。
 そして自分が川になった時にどう流れて、流していくか?そんな事を考えながら流れていこうと思う。

 ただ、ただ不思議なのはやはり中国の人たちだ。ここがアメリカという土地であり、<バスで旅をする>といったある意味特殊な環境下であるからかもしれないのだが、どうして彼らは既にあるアメリカのシステムを踏襲していかないのだろう?そちらの方が運営する側も、利用する側も快適で効率的であるはずなのに。彼らの中にはやはり「川の流れは自分たちで作り上げていくもの」、といった大きな無意識が流れているのだろうか?中国(清国)のことを<眠れる獅子>と呼んでいた時代があったと聞く。確かにゆっくりではあるけれど、この獅子は立ち上がろうとしているようだ。しかし他はもっと、もっと速いスピードで駆け回っている。この獅子は一体いつ起きるのだろう?
 香港にできるというディズニーランド。あそこにも不思議なものの列がいくつも、しかも文字通りの長蛇が出現するのだろうか?
 多くは望まない。僕が死ぬ前にちゃんとしたバスの発券システムが確立されるのを願う。

 安堵の為か、バスに乗り込んですぐに眠りに落ちてしまった。しかし、まだ出発の町を抜けきれない内に目が醒めてしまった。頭の片隅には、どこかの港町で船に積み込まれる人々の列の中に立つ自分の後姿がくっきりと映し出されていた。
 ニューヨークの街明かりがこれほどきれいに見えた夜はなかった。
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by seikiny1 | 2005-02-28 15:13 | アメリカ
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