ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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その手を耳からはずそう
「いらっしゃいませ、おタバコは吸われますか?」
「どうぞ」(メニュー、お冷や、おしぼりを差し出す)
「ご注文はお決まりですか?お飲み物の方はいかがいたしましょうか?」
「かしこまりました」
 同伴者としばし談笑していると、再び男が現われて
「当店はあと十五分で閉店でございます。どうもありがとうございました」
 男は平然と去っていく。

 このような情景が見られるのもそう遠い日ではないのかもしれない。

 人間が持って生まれた力のひとつに<学習能力>というものがある。様々な事柄から<なにか>を学び取る力。実際、小さな花や水槽に入った金魚からすら何らかの事を学び取ることが出来るし、窓の外から聞こえる単なる音に過ぎなかったものが心を開いていると、きれいな鳥の鳴き声であることに気付くこともある。
 こんな事を考えるようになったのは最近のことではあるけれど、思い返してみると僕自身も、様々なことから教えられ、学んできたてきた。これからもそうであると思うし、死ぬまでそうでありたいと思う。今という時間はただの通過点に過ぎないのだから。 
  Everybody is on the transaction.

 米国不法滞在者という状況下での不法労働、空き缶拾い、電子技師、倉庫労働者、寿司職人見習いから社長業まで様々な職を経てきた。一体いくつの仕事をしてきたのだろう?数えてみる気も起こらない。こんな中から僕が思うことは「職場・仕事は最大の学校である」、ということだ。しかも給料までもらえてしまう。たとえそれがつまらない仕事であろうとも、自分のキャリアにつながることはなくとも本人の姿勢次第ではそこから得るものは無尽蔵にある。くどいようだけれど、仕事をやっている時にそんな事を思ったことはない。いつも「給料悪いな。待遇悪いな。ケッ、人を虫けらみたいに扱いやがって」、などと毒づいてきた。しかしそんな中からですらなにかを学んで来ている。何かのひょうしに「オッ、空き缶拾うのもお寿司を巻くのも根本的には同じものなんだ」、などと気付いたりもする。本を読んで勉強するもよし、ちゃんと人について奥義を学ぶもよし、やり方は色々だけれど、大切なのはどんなにイヤな仕事でも、気が乗らない時でも目の前の事をなんとかかたしていくということだろう。そんな中から、少しずつ何かが積み重なっていき花開く日は必ず来るのだから。
 仕事をするということを意識するよりも、それに向き合う姿勢次第でいくらでも学習能力が伸びていく可能性はあるはずだ。目や耳をふさいでいれば、いやな事を見聞しなくて良い。そしてそのうちに嵐は過ぎていくかもしれないが、そこにはガレキの山以外の何物も残らない。しっかりと目を見開いて、「力足らずともなんとかやってみよう」という姿勢で立ち向かえば少なくとも自分自身の活力にはなっていく。
 「どうして仕事が出来ないのだろう?」ではなく、問題なのは「どうして仕事をしようとしないのだろう?」だと思う。学習能力がある限り後退するはずはない。

 先日、こんな内容のメールをもらった。
 <件名>指定なし(←空欄という意味です)
 <本文>二行程度の簡単な自己紹介のあと、「急ですがXXXを○月△日必着でお願いいたします」(誤字、言い回しが全くおかしい点、数箇所)

 二十代後半の彼はこれまでなにを学んできたのだろう?そしてここからなにを学んでいくのだろう?不愉快に思う前に、他人事ながら心配になってしまった。もちろん学習云々を言うつもりはないけれど、これが今のごくありふれたスタイルになってしまったのだろうか?
 本来持って生まれているはずの学習能力も、それを何世代にも渡って怠り続けると退化してしまうのだろうか?人間の足の指が短くなってしまったように。
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by seikiny1 | 2005-02-13 08:23 | 思うこと
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