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ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ブランドの力
 今年のニューヨーク・ガイドブックの目玉はここだろう。それにしても、大変な時期にオープンしたものだ。日本の出版社の人達は春の旅行シーズンに向けてさぞや泣いた事だろう。
 昨年の十一月末、ニューヨーク近代美術館は三年の歳月を費やした全面改装の工事を終え、マンハッタンに再オープンした。

 一体いつの頃からMoMAと普通に呼ばれるようになったのだろう?
 へそ曲がりの僕にとってMoMAという響きは決して心地よいものではない。そこには人々が弱い、ブランドの匂いが漂うからだ。そのブランドに魅かれてここに立ち寄る人も多いことだろう。まぁ、立派なブランドとしての内容を持っているので僕ごときがつべこべ言うことではないのだろうけれど。
 やはりそれは僕の中では近代美術館でなくてはならない。MoMAの名に頼らなくともそれは立派な、そして特異な位置を占める美術館である。MoMAという名に魅きつけられて来る者をも拒まぬほどの深いふところを併せ持つ。

 とりわけ美術に詳しくも、傾倒しているわけでもないが美術館が大好きだ。もちろん色々な展示物を見るのもよいものだが、あの空間でただボーッとしていたり、本を読んだり、庭園や人々を眺めることが好きだ。美術館が持つ、醸し出す独特の空気が好きなのだ。どこの美術館であろうと、そこは静寂と共にエネルギーを感じさせてくれる。漠然と時を過ごすだけで心が満たされていく。ただ、御免こうむりたいのは混雑と入館料の高騰このふたつ。
 ワシントンDCでは美術館・博物館、そのほとんどが無料で一般に開放されている。ワシントンDCに移り住もうという思いは全くないので、このシステムをニューヨークが取り入れてくれる事を願ってやまない。無理な話ではあろうけれども。ニューヨークでも、美術館によってはそれぞれ入場料を免除してくれる日があるが、どうしても混雑してしまう。二兎を追うものは一兎をも得ず。それにしても、二十ドルはイタイ。イタ過ぎる。

 「美とは?」、「芸術とは?」
 そんな質問を僕に投げかける方がどうかしている。答えることができるのは、「いいな」、「きれいだな」、そんなところだ。
 十数年前に初めて近代美術館を訪れた時の感想を一言で現わすとすれば、「なんじゃコレ?」。もちろんウォーホールや、リキテンシュタイン等認知度の高い芸術家の作品もあったが、そこに展示されていたもののほとんどは「なんじゃコレ?」だった。ただ、何度か足を運ぶうちにそれらは僕の中に何かを打ち込んでいたようだ。
 今思えば打ち込まれたのは<視座を変えてみる>という釘だったようだ。全く痛みは感じなかったがハートにしっかりと打ち込まれていた。それは単に見るという視覚的なものにとどまらず、もっと広範囲の意味での視座。乏しい僕の表現力ではいくら言葉を重ねてもその真意を伝えることはかなわないだろうが、〔ものの見方、感じ方、考え方など、そしてそれをどう表現していくかという方法の模索〕とでもいえばいいのだろうか。「美しく、精緻な技法で造形されたものだけが美ではない」、ということを近代美術館はささやいていたように思う。「価値観とは決してひとつではない」、という言葉が頭の中でこだまする。それは美術や芸術といった狭い領域にとどまらず全てのことに言えることだと思う。また、その対象物もしかり。「道端に転がっている空き缶からなにを感じることが出来るか?」。極論になるかもしれないが、近代美術館の発するメッセージはこれではないのだろうか。
 
 当時、そんな事を考えるはずもなく今だからこそ、そういう風に思うのではあるけれども。昨日の再訪でやっと自分の中に打ち込まれていた釘に気付いたように思う。こんな事を感じるのに二十年弱の歳月を要したのは遠回りでありすぎるのかもしれない。だが、一見空白にも見えるそれらの歳月が決して無駄なものではなかった、というおみやげをもらっただけでも僕にとってはめっけものであった。

 もしMoMAというブランドがきっかけとなって、一人でも多くの人が何かを感じることが出来たらそれは幸福なことなのかもしれない。
by seikiny1 | 2005-01-26 09:46
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