ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
たこさんウィンナー
 ひと口目のコーヒーは<まだ>ぬるく風味も死んでいた。

 コーヒーというものは熱湯で入れるもので、淹れたてのあるいは保温されているものは熱い。どう考えてもこれは昨日の残りを暖めている最中としか思われない。一ドル二十五セント也。サイズ:small。
 レジで支払いを終えてカウンターに向かう。遅い朝の日光を浴びたカウンタートップには無数の粉状のものが散らばっているのが遠目にもわかる。腰をおろしてよく見てみると、それは予想通りパンを食べた時に落ちたパンくずだった。ここはベーカリーや簡単な食事、お惣菜を置くお店。
 零下の風が吹く道を歩く人々の姿に少々飽きた頃、空になったコーヒーカップを捨ててトイレへ入る。ゴミ箱こそ空だったが、お世辞にもそこはきれいといえる空間ではなかった。ドアをロックしようと振り返ると、誰かが足で閉めたのだろうか白いドアの取って付近には無数の黒い足跡が不規則に天井を向いて散らばっていた。
 手を洗い、ここを訪れた本来の目的を片付けることにする。ここではドイツ人のお肉屋さんが作る美味しいソーセージが売られている。そのお肉屋さんはお隣の州にあり、車がなければ出向くことは出来ない。マンハッタン内で他に売っている店を僕は知らない。冷蔵庫にパックされて並べられたソーセージ達はどれも少しだけではあるが、肉眼でそれとわかるほどにいたんでいた。手ぶらで店を出た。
 ここはマンハッタン内に数軒ある日本食料品店のうちのひとつ。今日の営業を始めてからまだ三十分ほどしか経っていない。

 人が、会社が、お店が荒んでいく時はまるで病気のようにその兆候が見て取れる。それは些細なことなのだが、人間の感覚とは侮れたものではない。そこに何かを敏感に感じ取る。ある者は離れ、ある者は手を差し伸べ、またある者は苦言を呈する。ただ当事者が症状を自覚することは少ない。
 どんなに貧しい人でも、古びたレストランでも病におかされていないものからは生の息吹を感じ取ることが出来る。一方、なんとかとりつくろっているように見えても湿った病の匂いを感じることがある。たった一つの病の兆候が目に、耳に入ればまた別のひとつに気付く。病にかかっているものもそれが末期になるまで気付かないことのほうが多いようだ。

 それが人であれ、組織であれ省みる事、他者の目を持って見つめてみることはとても大切なことだと思う。健康のチエックを怠ってしまうと病を見逃してしまい、多くの場合それは悪化していくほかに道はない。堤防に開いた穴は小さいうちに直しておかなければ、時と共に水が穴を削り続け突如として決壊してしまう。
 何でもないようなことだからこそ気を配る。
 毎朝、熱く香り高いコーヒーを淹れ、カウンターを磨く。トイレの掃除をし、腐りかけのものは処分してしまう。その以前に、余分なコーヒーを作らず、店内はこまめに掃除をし、食品には製造日時を明記する。なんでもないごく普通の事をしっかりやることが出来ればその姿勢は自然と伝わるものだ。人とはそんなものだと思う。
 刑務所で本当に罪を悔い改める人はどのくらいいるのだろう?
 そこでの生活は、焦点をその罪の悔悟に絞りこむだけではなく、規則正しく小さなことにも気を配ることによって行動、思考サイクルの改善をも狙っているのではないだろうか。

 日本人の多く住む街には日本人向けのビジネスが発生する。商品はその地にはないもの、その程度で納得せざるを得ないものである場合が多い。少し古い言葉を使えば「な~んちゃって」、というところだ。レストラン、商店、各種のサービス、個人のスキルなどなど<日本で通用するはずのないものが、外国では通じる>という神話を未だに信じている人が多いように感じ取られてしまう。言葉を換えてみるとニセモノがまかり通る社会。
 閉店前の日本食料品店で生鮮食料品の大安売りなどついぞ遭遇したことはない。
 しかし我々も、外国人もバカではない。それほど鈍い感覚をあいにく持ちあわせてはいない。
「腐ったりんごは落ちる」。

 美味いウィンナー・ソーセージを食べたい。
[PR]
by seikiny1 | 2005-01-20 09:29 | 日本とアメリカと
<< 時間無制限一本勝負! made in japan >>
記事ランキング 画像一覧