ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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made in japan
「ファ~ッ」
 丸く、大きく広げられた口に手はあてがわれていなかった。
 朝から役場へ赴き、その帰りに立ち寄ったチャイニーズ・ベーカリーでの光景。アンパン、メロンパン、クリームパン、揚げパン、日本風の大きなサイズの食パン……。ニューヨークにあるチャイニーズ・ベーカリーではその味は別として、日本のパン屋さんで見ることが出来るパンのほとんどを見ることが出来る。その上、日本ではあまり見ることの出来ない店員さんの大あくびまで見ることが出来る。

 日本で生まれ、もしくは長年生活をしている人達、特に接客業をその職とする妙齢の女性が口元に手もあてがわずに大あくびをしている図に出会った記憶がない。少なくともうつむくか、恥らうかくらいはしていたようだ。チャイナタウンを歩く時に、「チャイナタウンはこんなもんだ」、と知らずに思っていた自分自身にもまたびっくりする。<中国人=そんなもの>という公式がほぼ出来上がりつつあったのだ。
 人間の意識せぬ行動の底には、生まれ持ったものの他に多くの経験、体験が流れていることが多い。ついつい見逃しがちだが、とっさの行動や、土壇場の状況下でそれらは顔をのぞかせる。こういうことを<育ち>と言うのだろうか?ただ、これらはあくまで日本という土地で生まれ育った僕の中にある文化を基準にしているに過ぎない。先の大あくびにしても、場所を中国、香港、台湾、アジア諸国に移し変えてみたらなんら行儀の悪い光景ではないかもしれない。もしかしたら、<自分を素直に表現している>事として評価されることである可能性だってあるのだ。
 ほぼ確実だろうと思われるのは、人は、特に僕のような凡人は先天的なものよりも後天的なものに支配されることが多いということだ。生まれより育ち。知らず知らずの間に自分の中に蓄積されたものが、血となり、肉となりあくびをする時に手を動かし、トイレで用を足した後には洗面台へと向かう。たとえ、他国で生まれようとも別の国でその生の大部分を過ごせば行動はもとより、発想までもが育った国のもつものに限りなく近くなる。
 しかし、百パーセントになる日は来ない。

 法律上での立場は別として、アメリカ人になることは出来ない。どんなに頑張っても、自然と身についたものに及ぶ術はない。たとえ大学院を首席で卒業しようとも、子供にすら及ばないことがある。その逆も然りで、どんなに日本語がペラペラで、日本オタクであろうとも日本人になることは出来ない。そのものになりきるには、いく層もの世代を重ねなければ生まれ持つことが出来ない何かがある。さて、その世代になってそれを得た者は幸福なのだろうか?案外、自分の源流をたどって遠い国に恋をしてみたりするのかもしれない。世に皮肉はつきものだから。

 背伸びをせず等身大の自分で歩く。それが一番自然な流れであり説得力も大きい。目には見えない大きな力が背後にはそびえ立つ。無理をすることも節々では大切かもしれない、しかしどこかにひずみが生じてしまい長持ちすることが困難であるというのもまた事実。自分のDNAや育ちを否定することなく、それを肯定し伸ばしていくことが出来たら、と思う。

 アメリカに恋し、憧れ、やっとたどり着き十八年余を経て今考えることはこんなことだ。
 自分は日本人である、と。
 いいところ、悪いところすべてをひっくるめて。
 相変わらず遠回りをしているようだ。

 パン屋の店員さんのあくびも、ニューヨークでは不快とは感じない。それは偏った見方なのかもしれないが、この街ではなぜか許されてしまう。

 以前はよその土地へ行った時に「どこから来た?」、と問われると「ニューヨーク」、と答えていた。今は「ジャパン」、と答える。
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by seikiny1 | 2005-01-19 10:05 | 日本とアメリカと
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