ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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工事はまだまだ続く
「あぁ、今日も来なかったな」
 部屋の水まわりの工事を始めてから一ヶ月以上が経つ。<ほぼ>毎週末彼らはやって来る。大晦日の夜、散らばった工具をかき集めながらお兄ちゃんは陽気に言った、「来週で多分終わるよ」。
 今は日曜日の午後九時三十分過ぎ。

 アメリカへ来た頃、スーパーマーケットの遅々として進まない長い列ではダイエーのおばちゃんを、送って数ヵ月後にボロボロとなって戻ってきた郵便物を無言で見つめながら佐川急便のお兄さんを思い出していた。
 そのつもりはないが、もしこのごろの僕の心情を文字に重ねてみるとしたら、「あぁ、こんなもんだろう」。
 それは<慣れ>や<あきらめ>ではなく、自分自身に確認を取っているようなものなのだろう。そういった思いが頭をよぎらなくなった時、また僕がアメリカという国に一歩近付いていくのかもしれない。

 昔は、アメリカの音楽、フアッション、若者風俗に憧れていた。しかし僕の目はその底流を見てはいなかったのかもしれない。その流れる川面だけを見つめて、そこから<自由>ということばを強引に引き出していただけなのかもしれない。それはまた、堅苦しい日本での生活に疲れた僕の裏の面だったのかもしれない。
 そのうち僕は海を渡って、つぶれたパンにはさまれたパサパサのハンバーガーを口にし、いつ来るともわからない次の地下鉄を待つようになった。それでも僕は笑っていたと思う。そんなひとつひとつに無意識のうちにこの国を確認していたとも言える。
 この国を手短に表現するとすれば、<スロー>そして<ルーズ>。ことばとしての響きは日本の人には良くはないかもしれないが、悪い意味ばかりでもない。とても奥が深い遅さであり、緩やかさでもある。こんな流れに身をまかせる事が出来て僕はつくづく幸せだと思う。
 大きく緩やかな流れの中で、僕という石は割れることなく大きな角だけが削られてきた。日本人度数はかなり落ちてしまい日本の地で日本人としては通用しそうもない。かといってアメリカ人になれるわけもない。とても中途半端な存在である。だが、そういう庭石にもなれないような石だからこそ見えてくるものもまたある。
 容積の限られたコップにはそれ以上の水を入れることは出来ない。アメリカの水が入り込んだために、日本の水が溢れ出した。それでもその両者の割合は、ある人にとってはとても美味しいカクテルであると言えるかもしれない。またある人にとっては吐き気を誘うものであるかもしれない。日本人では見落としてしまうこと、アメリカ人では目にもとめない事を見ることが出来るかもしれない。日本人もアメリカ人も目をふさぎたくなるような事を見なければならないかもしれない。
 自分の目に映るものに正直に生きていくこと。
 流れが曲がった先には滝があるかもしれないが、そこにかかる虹もまた美しいものだ。

 もっともっと美味しいカクテルを作りたい。

 イライラしながらも、やっと自分の番がまわって来たスーパーの列で、レジのおばちゃんとちょっとした会話を交わす。なんだか幸せな気分になれる。ぼくの祈っている幸福とはその程度のもの。

 冷蔵庫を開けると食べ物がなくなっていた。
 そろそろスーパーへ行かなくては。
 あいかわらず気が重い。
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by seikiny1 | 2005-01-10 12:53
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