ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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Last Minutes Shoppers
 昨日(12月24日:クリスマス・イヴ)地下鉄内でクリスマスツリーを抱え家路をたどる人達を数名見かけた。デパートやスーパーマーケットの周りでは、大きな荷物を抱えた人達がタクシーを探している。ここにも僕の同胞達がいる。

 ギリギリになるまで何かをすることが出来ない。俗に「ケツに火がつくまで」、というやつだ。時間がふんだんにあってもどうしてもそうなってしまう。別に意識しているわけではないのだが、ほとんどの物事がそういう風に流れていってしまう。そうして、不思議とこれまでの間、それらは<それなりに>なんとかなってきた。無意識のうちに自分をそこに立たせることによって、なにか力のようなものでも発生するのだろうか?
 もちろんちゃんと予定を立て、着実に準備をこなしていればそうあたふたとすることもないかもしれない。<もし>という選択が許されるのであれば、それを見てみたいとも思う。用意周到に物事をこなしてきた場合と、ギリギリまで追い込んで(追い込まれて)出した結果の間にどういう差が生まれるか?一体何が変わってくるのだろう?それは全く同じ結果であるかもしれないし、別の顔を持っているかもしれない。そしてどちらにも到達感はある。

 来年もまた僕は手帳を買うのだろうか?
 手帳は僕にとって憧れのひとつ、そしてこれからもその座を「譲ることはないのでは」、という予感もある。心の内のどこかで頑なにそこを動く事を拒んでいるかのように、常に憧れであり続ける。
 予定を書き込み、これからの展望を考える。
 成し遂げた事を書き込み、たまにページを繰り過去を振り返ってみる。
 住所録に連絡先を書き込み、電話をかけたりハガキを書いてみたりする。
 <出来る男の必需品>と呼ぶ人さえいる。
 そんな事柄に憧れているのだろうか、毎年新年には手帳を買い、とりあえず分かっている予定いくつかと家族、友人の電話番号を書き込むところまでなんとかこぎつけるのだが。
 日を重ねるに従いページが段々と文字で埋まり、年末にはその一冊が文字だらけになる。その充足感とは一体どのようなものなのだろう?想像するだけでこちらまで満ち足りた気持ちになってくる。多分、これも僕がそこで終わってしまう原因のひとつかもしれない。

 どんな人にも転機のようなものが訪れることがあるらしい。
 先日会った友達が耳を疑うような言葉を口にした。今年の彼はニューヨークで、誰もが疑うことのないような大仕事を成し遂げた。ただ、それは当の本人にとってはやはりひとつのステップに過ぎないし、そういう彼の仕事に対するスタンスがこプラスとなってきたとも思う。<肩に力を入れない>という点でお互い共感し、無言のうちに共鳴するものがあった。「相変わらず飄々と現れるだろう」と思っていた僕が目にした彼の表情は心なしか焦燥と疲労の色を浮かべていた。
 開口一番の言葉は、「いやー、今回もギリギリになるまで動かないとわかっちゃいたけど、やっぱりそうだったよ」
 彼は続けた「でもね、今回の仕事で多くの人に一所懸命、しかも手際よくやる事の価値を教えてもらったようにも思う」
 あの彼にこう迄思わせたものは何だろう?
 それは、どうやら周りの人の発する形なき力、そして情熱のようなものであったらしい。価値観を変える一瞬とは誰にも訪れるものなのかもしれない。見逃してしまうことがほとんどだろうが。

 これまでの彼と、少しだけ新しくなった彼が融け合うことでどんなものが出来上がっていくのかがとても楽しみだ。そして、自分自身も少しだけ目を見開いて前を通り過ぎていく何かに手を触れてみようかという気持ちにもなってきた。

 多忙な彼だが手帳は一応持っている。余白だらけの手帳。来年、彼の手帳にはたくさんの文字が並ぶのだろうか?それはそれでおもしろそうだ。

 僕はしょうこりもなく一月二日には半額になった革表紙の手帳を求めて本屋へ行くことだろう。
 いつになったら、来年の手帳を買う僕が生まれてくるのだろう?
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by seikiny1 | 2004-12-26 08:07
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