ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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芸者とアメリカンドリーム
ちょっと前はFujiyama, Sukiyaki, Geisha-Girl
最近ではSushi, Samurai, Sake(サキと発音)
そうそう、その間にSony, Seiko, Toyotaなんてのもあった。
<お手てのシワとシワを>あわせて深々とお辞儀をする人もいる。

 アメリカ人に日本というキーワードを渡した場合の反応。

 信じがたいだろうが、これは僕がこれまでに感じ取ってきたれっきとした事実であり、これからもキーワードこそ変わっていくかもしれないが僕が息をしている間にイメージが大きく変わることはないだろう。色々なことからインプットされたイメージが個々の中で形を作り固まっていく。

 自由、アメリカンドリーム、アメ車。
 アメリカに渡る頃の僕の頭にはそんなイメージが巣食っていた。そしてくつがえされた。今の日本人がこの国に対して抱くキーワードはどういうものなのだろうか?所かまわず”Yo, What’s up?”を連発するお兄ちゃんを連れて街を歩いた時にはさすがに閉口したものだ。こちらも、キーワードこそ変わってはいるが彼らが我々を捉える印象(思い込み)と基本的には大差ないと思う。

 <十把一絡げ(じっぱひとからげ)>という言葉がある。辞書を引いてみると「いろいろなものを雑然とひとまとめにすること」、とある。さて英語ではこれを何と言うのだろう?大衆に影響力のある人でさえ(だから?)こういう頭を持っているのだから始末に悪い。ザクッと斬って捨ててしまうのだ。もし我々の誰かが「負けてもともと」、と思い大勝負に出れば”Banzai Attack”の一言でなで斬りにされるだろうし、日本の会社の同僚に怠け者のアメリカ人がいたら「アメリカ人だから……」、と言ってあきらめてしまうのではないだろうか。
 ここでは国の事をたとえに話しているのだが、大切なのはその十把ではなく小さな一把、いやそれをすら到底満たすことの出来ぬものだと思う。十把と握手するよりも、たとえ言葉は通じなくとも一把と朝まで酒を飲むことが大切だと思う。そうして積み上げた一把、一把が百把になり千把にもなっていく。その結果として出した結論は皆正しい。それらをぶつけ合い、そして完全に否定をすることなく受け入れ、それに己のものを加味して像を成長させていく。その作業を怠るとお互いの間に存在する溝を埋めることは永遠に出来ないと思う。情報よりも経験をしていくこと。

 日本にはサムライがいないことを教え、自分達も芸者という言葉が持つ漠然としたイメージだけではなく本当の芸者というものを知ろうとする好奇心、努力が必要だろう。
 アメリカ人も日本へ行き、小さな町にもマクドナルドやセヴン・イレブンがある事を知り、自国のそれらとの違いも目の当たりにして欲しいと思う(はかない理想論かもしれないが)。

 そして世界は必ずしもひとつになる必要はなく、そうなれるはずもない。
 そんなところでバランスを保つのがいいのではいか、とニューヨークタイムス紙に掲載されたある批評を読んで思った。
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by seikiny1 | 2004-12-15 11:19 | 日本とアメリカと
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