ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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今のスタイル
「あぁ、これはまるで散文詩みたいだな」

 色々な人のHPやブログを見ていて常に何かが引っかかっていた。それはその表記法だ。「これは何だ?何かに似ている。何かに似ている」、とずっと気になっていたのだが、昨日やっとそれに気付いた。それらのほとんどからあたかも詩を読んでいる、見ている印象を受ける。
 文章自体が短い。句点で改行。改行時に文頭を一段落とさない。小さな段落で1行の空白をもうける。とりあえず思いつくのはこんなところだ。

 改行時に文頭を一段落とさない、という方法が主流になっているのは他人よりかなり遅くeメールを始めた当初に気付いていたし、今では自分もそのやり方でeメールに関しては書いている。多少の違和感はいまだにあるが、そこにはあまり長い文章を書くことはないのでパッと出来上がった文章の全体像を見るとこちらの方が見やすいようだ。
 文章にとって、パッと見の印象は大切だと思う。特にそれが一ページ程度におさまっている場合には。まず飛び込んでくるものは一文、一文ではなく全体像だと思う。ごちゃごちゃしているよりすっきりしていて、各所にアクセントが効いているに越したことはない。こうしてインターネットで文章が飛び交う時代になって、特にその印象は大切だと思う。僕自身にとってはスッキリというのがキーワードであって、字体、色などをあまりにも多用しているものはごちゃごちゃしていて好きにはなれない。そういった理由で、この多くの人が用いている散文詩的なスタイルはとても好きだし、興味もある。そして、もしかしたらこのスタイルが主流になるのかな、という予感もある。まだ、読んだ事はないが、今話題の『電車男』という本も内容と共にそのスタイル自体も話題になっているようだから、内容は別としてこれと共通するものがあるのかもしれない。ただ僕自身はどうしてもこのスタイルが書籍には向かないという古い考えの持ち主なので、もしこのまま散文調のスタイルが主流となれば本の売り上げはかなり落ち込むのではないかとも思う。あまりにもこの眼に優しいスタイルに慣れてしまうと、従来の書籍や新聞に共通する<普通>と呼ばれるものを読むことが出来なくなってしまうのではないか、と思うからだ。また、書物であれだけの空間を使うということはお金もそれなりにかかり単価も上げなければならなくなる。最近では出版業界の中に<漢字率>というものがあり、文章の中にあまりにも漢字の占める割合が高いと本を手に取った人が敬遠する傾向にあり本が売れなくなるそうだ。漢字だけでもそれだけ気を使うのだから、文体自体が変わってしまったら出版業界はどうなってしまうのだろう?

 象形文字に始まり、漢字、ひらがな、カタカナ、かなまじり、文語、またその時代、時代に見られる特徴のある言葉回しなどなど、表記法は時代と共に変遷をとげ、またこれからもそうであろう。そして僕自身の中でもそれは少しずつ変わってきている。たぶん今は大きな過渡期の中にあるのかもしれない。このまま技術が進歩し、モニターの精度も上がり媒体自体がもっと読みやすい環境を整えれば散文調が主流になり、書籍、新聞の売り上げはかなりのレベルで落ち込むかもしれない。「日本語の退化」と嘆く人も出てくるかもしれないが僕はそうは思わない。一体この時代に、昔に人が読み書きできた古文や漢籍をどれだけの人がこなせるのだろう?これは退化ではなく変化であると思う。ただアナログ人間の僕にとってそれは寂しいことではあるけれど、一方このスタイルから何が生まれくるのかということにかなり興味がある。淡々とした文章の中に、想像力をかきたてる何かを感じるからだ。時に、それは一枚の絵や写真のように思えるときすらある。

 古い慣習にとらわれることなく、自然と確立しつつあるこのスタイル。それは現代の人間が求めているものかもしれない。あまり現実的ではない、少し夢のあるスタイル。
 文章とは行間を読ませるものから、空間を創造させるものに変貌しつつあるのかもしれない。

 いまだに試行錯誤しながら、己のインターネット上での文体に悩み続ける男がここに少なくとも一人はいる。
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by seikiny1 | 2004-12-14 07:38 | 日本
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