ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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がらんとした部屋
なつかしいけどど拾わない。
通勤の途中で。
ちょっと前までは、どの友人の部屋へ行ってもあったもの。
木製のカセット収納箱。
長方形の仕切りの中には60本以上のカセットテープが収まる。

デリ・カウンターの右袖にあるプラスチックケース。
生テープのパッケージが変わっていることがある。
本数も増えていたり、減っていたり。
ある程度の需要はあるんだろう、どの程度だかは知らない。

「ヒーッ!」
日本から来たSさんは、悲鳴にも似たうめき声を飲みこんでいた。
「好きなんだよねー、カセットのジャンクな音がさー」
15年前のタワーレコード地階。
あの日、彼女は何十本のテープを買ったんだろうか。
今でも聴いているんだろうか。
今でもカセット・ウォークマンをバッグにつっこんでいるのか。
買いだめをしていても不思議じゃない。


ここ数年よく見かけるゴミ。

道ばたに「ゴロン」と転がるブラウン管式モニター。
NYではまだ一般ゴミとして捨てることができるらしい。
LCDモニターの登場は、四半世紀もの間、窮屈だった机を昔にもどしている。
すこしばかり紙類が減ったが、その分増えているものもあって、おあいこ。
キーボードだっていつまであるかはわからない。
10年後のぼく達は、机の表面を軽くタイプしているだけかもしれない。
マウスだって。
いや、モニターだって、
オフィス・ワーカーのすべてが変な眼鏡をかけている光景が浮かんできた。

テレビ台という家具はもうそろそろ消えうせるだろう。
電子書籍が普及すれば、50年後の家庭から本棚は消える。
紙の本に固執する現代詩作家・荒川洋治さんですら、
「紙の本は消えてゆくでしょう。しかも思っている以上のスピードで」と語る。

2人で、3人で……。
囲むのはアルバムよりも、モニターであることの方が多くなってきた。
写真中の人すべてが過去となったとき、
アルバムを囲む光景はセピア色に包まれる。

iPodが出て数百枚のCDを中古屋の手にゆだねた友人。
驚愕の目で見ていたが、あれから日本の政権は何回変わったのか。

紙の本が消えてしまえば、《文庫本サイズ》なんて言葉は意味をなさなくなる。
実際にNY Times, Wall Street Journal……相次ぐ新聞の小型化で、
《新聞紙大》という言葉は死語となった。


道ばたで転げるモニターを見るたびに重なる映像。
そこもまた道ばた。
友人宅への途中で見かけた旧式(氷式)冷蔵庫。
大型金庫を思わせる鉄の塊がゴロリ。
半ば開いている2枚のドア。
2ドアより、1ドアのほうが新しかった時代。
日本へ帰っても氷屋さんなんて見ない。


本棚、CDラック、ステレオ、テレビ台、机……
部屋の中が空っぽになってゆく。
残るのはなんだ?

根本的な食の変化で電子レンジ、冷蔵庫が消えていないとは言えない。
皿やカップだって。
人々が裸で歩いていてもおかしくない。
家に住むという習慣すら消えているかもしれない。
美徳だった大量消費は50年を経て悪徳となった。
「男の美学」といわれた喫煙は、今では非難の対象だ。
たしかなことなんて何もない。
本を手に持つ、たしかな感覚が失われてゆくように、
この先、現実界のぼくたちはどんどん非・仮想現実の中に身を置くことになる。


「非現実界に棲むやつら」
弥次さん、喜多さん。
2時間半で東海道を駆け抜けるぼく達にそんな目を向けていることだろう。
非現実界に住もうと、ずっと羽ばたいてきた。



「なんだこりゃ……!?」
寝ぼけまなこの先に広がる異様な光景。
この部屋も。あの部屋にも。
転がるカラフルな巨大芋虫たち。
常夜灯に目を凝らすと、寝袋に眠る人、人、人……。
20年前のある日、友だち数人がシェアする日本の旧農家に泊った時のこと。
この家にはベッドというものがなかった。

100年後のぼくたちは眠ることすら必要としていないかもしれない。


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by seikiny1 | 2010-05-27 08:20 | 思うこと
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