ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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割り切れない気持ち
「あ、因数分解で数学が大好きになったんだ」


「ぼくは今年47になりますが、
2で割り切れないので人生の半分を考えるのは来年にします(笑)」

誕生日に届いた友人からのメッセージ。
ぼくが48になったこと。
アメリカでの生活が人生の半分になることに対して貰った。


実はひと昔前、理系でした。
高3の初夏頃までは。
その歳ごろには怠け者の性格も十分に作り上げられていたらしく、
転びバテレンよろしく、ゴロンと文系へ転向。
将来のことではなく目先の「楽そうだ」に転んだわけです。

中学で因数分解に出会うまで、
得意ではあったけど、数学は好きとか嫌いの対象ではなかった。
あったのは明解に答えが出る爽快感。


いくらアメリカとはいえ、
大手のフランチャイズ店にマニュアルは存在していると思う。
それをどこまで厳密に実施するかどうかは別として。
もちろん日本のもののように事細かにわたってはいないだろうが。
まあ、どちらも現物を目にしたわけではないから、
マニュアルはぼくの中では都市伝説にすぎない。

"I.m sorry I don't have no penny.
Have a good day.
Next!
Welcome to ●×.
May I take your order?"
まるで般若心経のようにひと息に言われてしまい、
顔はもう次の客の方を向いている。
考えてみればお経だって一種のマニュアルと言えないこともない。
心の平安マニュアル。

差し出していた左手には、
1ドル紙幣と25セント硬貨。
どちらも2枚ずつ。
ほんとうは2ドル51セントのお釣りのはずなのだけれど、
1セント硬貨(Penny)を切らしてしまったらしい。

しばらくあっけにとられていた。
0.5秒ほどは固まっていたと思う。
1セントを切らす店も、こんな対応も別段珍しいことではないのだが。

"Forget about penny."
99セントの買い物をに1ドル紙幣を渡して釣りを受け取らない人は多い。
今のぼくにしても1セントに困っているわけじゃなく、
ここ数年は1セントを歩道に見つけても、腰をかがめることがなくなっている。

あっけにとられてしまったのは、
1セントがあってもなくても成立してしまうその社会。
そこのところ。
そんな社会の真ん中に立っている自分をあらためて見つめていた。
これまでは
「そんなもの」
としてただ通り過ぎていただけで。

日本だって1円に目くじらをたてる人は少ないだろう。
それでも、この1円を正確にやり取りすることで社会が成り立っている。
「大変申し訳ございません。ただいま1円玉を切らしておりまして……」
店長らしき人が現れ深々とお辞儀。
自分の非をあやまる。
フランチャイズ展開しているコンビニやファーストフードでは、
こんなことすら起こらないだろう。


1セントにまつわる事情。
このことがアメリカという国を回している。
「気にしないよ」
「気にしないでしょ」
一抹の不安も疑念もない。
平等な価値観を共有することの上にこの国はある。


数というものが割り切れない数の集合体であることを知ったとき、
数学が好きになった。
たったひとつの解を求める、
「割り切れないものはない」数学の世界に割り切れないモノがある。
合理の中に見つけた不合理というか、
整合の中の不整合といか。
「割り切れないものがある」
明快に言い切ってしまうところに魅かれたんだろう。
もちろん当時、そんなことを思うはずはない。

アメリカを好きになったのも、
素数の寄せ集めを割り切っているところに魅かれたんだろう。


さて、次の割り切れない歳まであと5年。


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by seikiny1 | 2010-04-30 19:25 | 日本とアメリカと
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