ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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野垂れ死
生きるということしか考えてなかった。
いや、
死ぬという言葉の浮かんだことがなかった。
この方が正しい。

「オクスリおいしいかな?」
「空缶どれくらい集まるだろう?」
未来はいつも疑問形。
手近にあるはずでの未来を考えながら生きていた。
1月後、1年後、20年後……。
そんな気の遠くなるようなものでなくても、未来。
すなわち生きている自分を見ていることに変りない。


「この人たちって幸せになれるのかな?」

《タイムズ・スクエア、最後のホームレス》
New York Timesの記事を読みながら浮かんできた疑問。

“Times Square Seven”
その筋の人たちは彼らのことをこう呼んでいたらしい。
タイムズ・スクエア界隈に残った7人のホームレス達。
2009年夏以来。

今、2010年3月にはとうとう1人にまで減らすことができたという。
この快挙をボランティア、市関係、警察の人たちは喜んでいる。
活動を続けてきた人として。
善意ある人として。
市民として。
ひとりの人間として。
色々な理由で。
結果を出した。
平均17年を路上で暮らしてきた彼ら。
6人の気持ちははどうなんだろう?

本人の意思を尊重し、根気強くに説得を続けてきた成果だという。


おじさんの名前はHeavy。
彼のねぐらが近所なので、仕事のある日には毎日見かけている。
いつもの場所で。
巨大な荷物を押しているかと思えば、
時に、全所有物を失い身ひとつで段ボールに寝転ぶ。
雨の日も、雪の日も。
もちろん今日だって。
タイムズ・スクエア最後の1人となってしまったおじさん。
1人、2人……。
欠けていく。
残されてしまった男。
"Times Square ONE"
屋根と壁を拒み続ける。


野垂れ死。
悪い語じゃない。
悪い行為とも思わない。
いつだって世間の一面だけを説明してくれる辞書には、
「道ばたなどに倒れて看護もされずそのまま死ぬこと。行き倒れ。また、それに似たみじめな死に方」
と出ている。

昔、自分の死を思い描く時には必ずこの言葉が出てきてた。
野垂れ死。
こんな生き方にどこか惹かれる自分がいる。

市役所そばの公園で、ウオッカの瓶を抱いて凍死していたTippie。
トンネル料金所そばで轢かれ、ぼろぎれのようになったShorty。
クスリ代を踏み倒し、穴のあいた身体で見つかったJack。

コンクリートという檻の中でしか生きることのできないホームレス。、
自由と引きかえに、野垂れ死をする自由さえ失ったホームレス。
道ばたで事切れようと、誰かの手をわずらわさなければならない。
たとえ物として処分されるにしても、
無表情ないくつかの手から手へ渡されなければ旅立つことを許されない。
自然に土へ還ることも、
野鳥についばまれることも、
風や水になることさえも許されない。
都会に飼われたホームレスは、最期の時すらも都会にゆだねる。

路上にで死を見つめる人は少ない。
「なんのために生きている?」
「生きるために生きている」
先にある時間がたったの1日という小さな塊であっても、
懸命に手を伸ばして掴もうともがく。

そんな場所から立ち上がるのに必要なのは
きっかけ。
偶然を必然と思える調子よさ。
そんなもん。

Times Square Six。
今ごろどうしているだろう。





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by seikiny1 | 2010-03-31 09:00 | RCサクセション
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