ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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登校日
「???......」

 言葉が通じない。
 「半ドン」がわからなかった。
 考えてみれば当然で、彼らにとって週休2日というのはあたり前のこと。かつて、休みは日曜日のみであったということを知る人は思っているよりも少ないのかもしれない。使われない言葉は錆びつき、そして死んでいく。老人語、死語。

 土曜日は半分休み。それが半ドン。
 4時限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると「吉本新喜劇」、「ルーシー・ショー」を観るために駆け出す。昼飯は大抵うどん、インスタントラーメン、すいとん、焼きそばなどで給食嫌いの僕にとってはなによりのごちそうだった。
 休みは多いに越したことはないけれど、土曜日午前中の根拠のない期待感、午後の気だるさというのも好きだった。11時55分、デパートの屋上から流れる「春の小川」のサイレンが消え入る頃、町がどこか緩んだ空気に包まれる。


 厳密にはいつ頃までを<詰め込み式教育>と呼ぶのかはわからないけれど、僕らの世代がその最後のあたりに属するのではないかなと思う。今、振り返ってみて「悪い時代じゃなかったな」などと思うのはジーサン化の証し。時はケバだった表面にやすりをかける。
 どうしたわけか、古文の授業はいつも昼飯直後に組み込まれていた。朗読する先生の声が気持ちよくて......。昼寝。
 風雪をかいくり、未だに息をしているものを古典・名作と言うのか。そうでなければあんなにも心地よい、それこそ夢心地となるような空気を醸し出すことはできない。リズム感、あの抑揚のある響きだけで名作となっても不思議ではない。芸術というのを突き詰めていけば「気持ちのいいもの」というところにある、と僕は思う。心地よいもの。
 授業中に心地よくはなっていても、試験前になると廊下を歩きながら、学校の行き帰りにいつも呪文を唱え、それら<名文>の暗記をしていた。憶えること、刻み込むことが勉強だったから。

 徒然草、土佐日記、枕草紙、奥の細道、平家物語、百人一首、論語、漢詩......。
 いくつかの作品は冒頭部分を今でも諳んじることができる。
「古典とは確信犯なのかそれとも偶然なのか?」そんなことを考えていた。冒頭部は十分に練りに練って創り出されたものなのか、それとも兼好法師の言うように「退屈で机に向かっていたらできてしまっていた」のか。あの心地よさはどう考えても後者に違いない。最初に結果を作ったものは長持ちしない、とどこかで信じている。

 諳んじることのできる冒頭。そのほとんどは高校時代の暗記を重視した教育の副産物。ひとつの例外を除いては。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
 これだけは小学生の時に憶えた。それがなんであるのかすら知ることなく。
 ただ、
「おふくろのおっぱいの味を覚えてんのか?捨てた女のホクロの数を思い出せるか?」と続いていってしまう。
 テレビの力は、少なくともあの時代に於いては偉大で、平家物語の冒頭は、左とん平『ヘイ・ユー・ブルース』で知らぬ間に血肉となっている。

 8月。
 半ドンという言葉がまだ生きていた頃、この時期になるといつも憂鬱になっていた。
 夏休みであるにもかかわらず、8月6日と21日には登校をせねばならず、6日にはわけのわからぬ平和授業というのを受けさせられ、黙祷をする。小学1年生にわけのわかろうはずもなく、ただ一所懸命に目を閉じるばかり。そういえば黙祷という言葉知り、体験をしたのも登校日が最初のことだと思う。
 そんなことでも毎年続けていると、戦争のこと、原爆のことが少しずつだが理解されていき、自分の今いる平和という時代の幸運さを考えるようになる。最初はあくまで強制でしかなかったのだけれど。

 強制や詰め込みを一概に悪と言うことはできない。ただ、その使い方を確信犯的に悪用されれば悲惨な結果を導いてしまうことは歴史が証明しているが。

「今のガキ達も、登校日には文句たれながら学校に行ってるのかなー?」
 調べてみると、登校日を設ける、設けないは各校長の裁量に委ねられているということで、その日に何をやるかという規定もないとのこと。
 ちょっとビックリしてしまった。まさに井の中の蛙。日本全国、すべての学校が今も、昔も平和教育を行っているものと勝手に思い込んでいた。誰もが8月6日には黙祷を捧げるものだと。登校日すらない学校が全国にはかなりの数存在するらしい。ジーサン化の進んでいないガキたちにとっては喜ばしい子に違いないけれど、平和というものに対する意識は微妙に違ってくるのだろうか?
 少なくとも、僕に関しては40日ある夏休みの1日を捧げた価値はあった。

《ゆとり教育》も見直しが始まっているようだけれど、見直しの必要なものはたくさんある。便利であれば、楽であればすべてOKとは限らない。長い目で見ると。いつだって過ちはある。これまでも、これからも。川に落ちたり、修理をしながら進んでいくしか他にはない。
 強制されること、縛られることにどこかで喜びを感じる部分が確実にある。ついつい弱い者を探してしまうのと同じように。
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by seikiny1 | 2009-08-05 19:35 | 思うこと
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