ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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2ページ目
 ということで、更新は遅くなってしまいましたがここからは前回書いたものの直後に丁寧な文字で同じ内容を書いたものです。とりあえずスタートをする時点では。
 御笑納ください。





 昨日までとはノートこそ違え、丁寧な文字で先ほどと同じテーマを書いてみる。
 そういえば丁寧に文字を書こうとすると、背筋が伸び、組んでいた足が地に戻るのはなぜだろう?それに失敗できないという緊張感も伴う。
 高速でで頭と手元を同期させながら書き進めていくのは気持ちがいい。しかし、ゆっくり書くことにはまた別の楽しみがあることに一月ほど経った頃に気付いた。
 それは、
「どうやらこちらの場合は指先の動きが頭の働きを司る」のではないかということ。書きながらまったく予想をしていなかった展開が始まり、当初書こうと思っていたことについてほとんど書いていないことに途中で気付くがもう遅い。そんなことがほとんどだった。
 対して走っている時には「これを」と思ったものにとりあえず突き進む。思いがけない展開になることはこちらでも同じなのだけれど、やはりどこかに目的地がちらついている。結果として、たどり着くことができなかったとしても。

 ここまでが1ページ。
 今、パッと俯瞰してみると昨日までのものよりも質が落ちている。十分に読むことはできるけれど字の丁寧度が落ちている。それは心の緩みの露われか?たしかに(失敗したっていい……)、(人に見せるわけじゃないから……)なめてかかっているところがある。スピードこそ計ってはいないけれど、昨日までの倍程度のスピードかもしれない。ということは、頭と手の関係は走り書きと丁寧の中間あたりか。ちなみに、普段なら確実に片仮名か平仮名で飛ばしてしまっている俯瞰という文字は辞書を引いた。こうやってたまには丁寧に書くようにすれば、また少し漢字を取り戻せるはずだ。

 文字の質のことを考えていたら、いつの間にやら足を組んでいた。

 高速、中速、低速。
 それぞれに別の自分が棲んでいる。
 今、こうして書いているものを5分ほど前に高速で書き始めていたら、今頃はどこにいるのだろう?また、そこから違った自分が生まれていたに違いない。
「あのとき、もし〇×であったならば……」
 小さな意味で歴史のタブー。歴史の面白さにぶつかってしまった。
 書き終わりにもまた別の充足感がある。
 車の場合はスピードと視界が反比例をしていくけれど、ノートの場合は視点や視覚が変わっていく。
 そう、昨日までのものは人に見せることが前提としてのものだったから、見えてくるものもまた違った。
 これからも、スタート地点だけを同じくしてスピードを違えたたびを時々やってみようと思う。

 5年前に乗った九州新幹線。
 車窓に映る風景のほとんどはトンネルの闇。それにしても電車の窓は映画のスクリーンに似ている。
 鼻毛を抜く男、爆睡をする女、夫婦喧嘩をする老人……NYの地下鉄スクリーンは様々なものを上映してくれるが、日本の地下鉄スクリーンは退屈な風景画みたいだった。その絵しか持たないよさもあるのだけれど。
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by seikiny1 | 2009-07-22 01:17 | 日ごろのこと
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