ウェンディーズの前を通り過ぎながらいつもとは違う光景であることに気づいた。
「ん?」
いつもは客でひしめき合っているオーダーカウンターの前が閑散としている。「今はいれば待たずにすむな」、とは思うもののここへは入らない。帰国して最初の昼食はジャンクフードの王様バーガーキングと飛行機の上で決めていた。
繊細な日本の味はうまくて高かった。人間はやっぱりわがままということを実証するように少しパンチの効いたものを求める身体を押さえることができない。
足を踏み入れたバーガーキングも客はまばらで、
「お、この分だとかなり早めに食えるかも……」ささやかな期待が湧き上がっていた。
列についてしばらく経ってから、ミッドタウンのお昼時には異常とも言えるこの現象の原因に思い当たる。客がまばらな理由に。
皆、テレビのあるレストランで食事をとっているのだろう。この国の歴史的瞬間を見届けるために、オバマ新大統領の誕生という時間を共有するために。
一方で、バーガーキングの列は遅々として進まない。やっと回ってきた列の最先頭。カウンターの向こうにいるまったくやる気の感じられない従業員と接した途端、自分がアメリカへ帰ってきたという事実を、逃亡中に警官の検問に遭い車のトランクから女の死体が出てきてしまった殺人者よろしく、いやでも認識させられ、日本が恋しくなってしまった。事実というのは本当に怖い。
オーダーを終えて待つ。
待つ、待つ、待つ。
来ない。
まだ来ない。
見渡してみると隣の女性は待ちくたびれてしまい、壁に額をあずけて気絶しているように見えないこともない。あちらの方にはしゃがみこんでいる男。少し離れたところからはため息が聞こえてくる。10秒おきに腕時計に目を落とす若いアンちゃん。
来ない。来ない。
やっと来た。
店へ入ってから15分以上が経過していた。前に並んでいた人数は10人にも満たなかったはずだ。
砂漠の味がするハンバーガーを食べ終える頃になって初めて、身体がアメリカという国に帰ってきたという現実を受け止めていた。
寒さのせいか、それとも最後にミッドタウンを歩いたのがクリスマス前という極端に人出の多い時期だったからかそう感じただけなのか。食後に散歩をした街は閑散としていた。テレビのあるレストランを窓越しにのぞいてみたのだけれど人は入っていない。街頭の大型スクリーンの前に人だかりはあるが大したことじゃない。ここも、あそこも……。考えつくのはただひとつ、歴史の大きなひとこまとなるであろうこの日を、その瞬間を人々は家で、ある者はワシントンD.C.まで足を伸ばし迎えているのだろう。会社がなんだって言うんだ。
僕のいるこの街そのものは、熱狂とはほど遠く静まりかえっている。
変革を待つ人は多い。その数がオバマ新大統領の支持率となって表れている。
ただ、その内のどれだけの人が自覚を持っているのだろう?少なくともバーガーキングのカウンターの向こう側にはその予感や兆のかけらすら転がっていない。今の時点では。もっとも期待は誰もがしているのだろうが。
ただ待っているだけではなにもやって来ることはない。バーガーキングのカウンターに関しては、待てばいつかは来るのだけれどそれはすでに契約が終了していてその履行を待つというだけのこと。
ただ待つだけ。
それはタクシーが一台しかいないアメリカの田舎町で電話をすることもなく、スーツケースに腰をおろして車影の現れるのを待つようなものだ。
それとも変革に参加する前には最低賃金を上げなければならないのか、税金を下げなければならないのか。餌がなければ人間は動けなくなってしまったのか。
4年や8年はまず手始めといったところ。
とにかく僕はバーガーキングのサービス向上を待っている。
その時こそがこの国のchangeが動き出した時だろう。
貧困、そこからの向上心、食生活の傾向、物価、景気の反映、人種、大量消費、そして人間の根源。
バーガーキングにはアメリカのすべてが凝縮されている。
デヴィッド・ボウイがChangesで"Time may change me, but I can't trace time."と唄ったのはもう40年近く前のこと。
40年後に生きているとしたら、今、この時をどういう目で見ているだろう。